身の上話♪

ネタがないわけではないが身の上話でもしよう。

僕には父親がいない。生物学的な父親はいるが、父親だとは思っていない。母と生物学的父とは僕が10歳の時に離婚し、僕と妹は母と母方の祖父母に育てられた。このときに姓も変わった。生物学的父は養育費や慰謝料の5分の1も払わずに逃げまくった。20歳の頃生物学的父に会う機会があり、これまでのことを水に流して親子になろうかみたいな話が出てきた。ずいぶん虫のいい話だと思いながら、しばらくは時々一緒に飲みに行くようなことがあったが、女にだらしのない生物学的父は13年ぶりに足を踏み入れた我が家においても(当時の)女とだらしなく携帯で話にふけっ た。これを殴って追い出して以来、連絡は取っていないし、僕の父親は僕の中から消滅した。生物学的父はそろそろ定年なので退職金をぶん取る訴訟の準備でもしようかと考えている。

母方の祖父母がまたおかしな人物で、一緒に住んでいてもさっぱりポリシーというものがわからない。曽祖父は生前、婿養子である祖父のことを「計画性がない」「その場限りの男」と非難する場面があったそうだが、今見ると全くその通りであった。蓄財や運用ということをせず使うばかりで、曽祖父母が働いて築いたなけなしの財産もいまや食いつぶそうとしている。一緒に住んでるんだからお前だって財産を食いつぶしてる一員だろう、という批判が出るかもしれない。確かに、祖父母と僕、母、甥(妹の子……ここも複雑なところだ)という5人が同じ家に住んでいるわけだが、祖父母は食事を作っている母には一切金を渡さないので、母は自分で稼いだお金で全員分のご飯の支度を している。僕や妹の中学・高校の学費も一切祖父母は出さなかった。養育費を払わない生物学的父を恨みながら母が働いて稼いでくれた。さすがに僕の大学の学費は祖父母が出してくれたが、それも全額・半額免除があってのことだった。

さらに、自分たちの子でありながら、母とその弟(僕から見れば叔父だ)との間に異常なまでに厳密な差別をもうけている。母はすべての局面において見下され、叔父はすべての局面において賞賛される。母の子である僕や妹、妹の子である甥もそれに準じた扱いを受けている 。親がこんなことをすれば姉弟仲が悪くなるのは当然である。甥がうちにいるのは、妹が離婚した後に祖父母が「うちで育てる」と無理やりつれて帰ってきたからなのに、自分たちは全く面倒を見ず、甥っ子が粗相をすると母に「お前の育て方が悪い」と文句を言う。掃除・洗濯・料理・育児(甥)のすべての面に渡って、母は身を粉にしてこの家に尽くしているのに全く感謝されないばかりか、ご近所や親戚にいいように悪口を言いふらされている。だから母は最近サボり気味だ。それが当然というものだろう。

叔父夫婦がまた無茶苦茶である。叔父の事業が順調だったバブル期にも、こちらにいくらか仕送りをするどころかあべこべに仕送りを受け、祖父母にねだって買ってもらった千葉のマンションで当時流行のDINKS(共稼ぎ子無し世帯)を気取って豪奢な生活をしていた。祖父母と同じく貯蓄や運用など考えずただただ自分たちのために使うばかりである。いつだかの正月に帰省した時には自分の着ている6万円のカシミアセーターの自慢をしながら、うちへの土産もなければ僕や妹に一銭のお年玉もなかった。バブル期が過ぎ去りスキルアップに興味のない叔父の会社が当然のように傾けば、これまた当然のように祖父母への依存度を増していった。子どももなく、へたくそな提琴ぐらいしか弾けないキリギリス夫妻はついにすべての職を失い、来年のいつだかには千葉のマンションも引き払ってこの家へ戻ってくるというのだ。

祖父母は叔父夫妻をこの家に迎え入れる準備として、母や僕に対して陰に陽に「出て行けオーラ」を発し始めた。もともと叔父夫妻が帰ってくる話は一年ぐらい前からあり、その頃からオーラが出ていたのだが、そのオーラが当たった僕は「出て行ってなるものか」と踏ん張っていた。母も同じである。しかし、ある人のある言葉が僕の心をものすごく楽にしたのだ。そのある人とは、意外にも僕の大嫌いな

細 木 数 子

であった。このおばちゃんの理論によると、母は嫁に行って別の姓になった時点でうちの先祖とは切れており、出戻ってきてもそれは変わらない。我がソ子家(仮)の跡継ぎは母や僕ではなく叔父夫妻である。叔父夫妻には子どもがいないので、我がソ子家はつまり

す で に 死 ん で い る (断絶している)


そして母は新ソ子家の祖であり、僕は二代目である。ならば僕らがこの家にいる道理はない。この家に対するこだわりを捨てれば道は開ける。そもそもこの家に財産などほとんど残っていない。あるとしても家屋敷ぐらいだが、3号線が拡張しないことが決まってしまったので高く売れる見込みもない。さいわい、僕も働き始めいくばくかの収入がある。母の収入と合わせれば月7万円の、妹も一緒に住むならば月10万円の家に住むことも可能だろう。母が実の父母から虐げられる理不尽な日々も終わる。甥っ子にとっても今よりもっと小学校に近い場所に住めるチャンスだ。早速、動き始めてみようと思う。


僕らがいなくなって叔父夫妻が帰ってきたソ子家がおそらく見るに絶えない惨状を呈することは想像に難くない。これまで老人を見たことがない叔父夫妻に、足腰が立たずぼけ始めている祖母はどう映るのだろうか。大したこともできないのにプライドばかり高く自慢話ばかりする叔父には、こっちに帰ってきたからといって頼れる友達もない。おそらくお隣さんともうまくやっていけないだろう。そして、手に職もなく車の運転も出来ない、ただ祖父母の年金に頼るしかない叔父夫妻は、おそらく祖父母の虐待に手を染めるだろう。もっとも祖父母は望んだことだからそれでもいいかもしれない。

問題は祖父母が死んだ後だ。年金は当然打ち切られるので生活の糧はなくなる。だからといって僕が叔父夫妻の面倒を見る道理はない。叔父といってもこれまでの人生で合計72時間一緒にいただろうかというぐらいりっぱな他人の面倒を、仕事でなく見るなんてどう考えても不可能だ。10年くらいで確実に訪れるであろうこうした局面に、僕はどう立ち向かえばよいのだろうか。こんな状況があるので、結婚も進路もこの状況を打開できる方向で考えなければならない。あたまぐちゃぐちゃだ。

てかこんな状況を晒したら結婚できんかもorz