のまのまいぇ〜(怒)

上記の件についてエイベックスは社長が殺人予告までされて大変なことになっているようだが、アスキーアートの猫がどうだかなんてことは越後屋にはさほど関心がない。まあ、改変されたものであるとはいえ、例のアニメは実に秀逸だ。先に単独で曲を聴いた時にはイタリア語とスペイン語の中間のような響きの言語が聞こえてきただけだったが、アニメを見ながらだと本当にそう聞こえるもんなあ。

僕がエイベックスに憤慨しているのは、O-zoneのアルバムに付属している対訳である。ことにこののまのまいぇ〜(正しくは「Dragostea Din Tei」)訳者はよく名前を見かけるベテランの人ではあるが、読んでも全く意味が分からない。英語版の訳をさらに日本語に訳したものであるらしい。そこで、モルドバ語の訳に自力で挑戦してみることにした。

サーフィンしているうちに、モルドバ語といってもその実はルーマニア語であることがわかった。韓国語と朝鮮語のようなものだ。ルーマニアとロシアという二つの大国(ルーマニアはかつて強勢を誇った王国だったのです)の間で翻弄されたこの国は、自らのアイデンティティをかろうじて保つために「ルーマニア語ではない、モルドバ語だ」と主張している。実際、ルーマニア語だと言ってしまうと、ルーマニアの中の大ルーマニア主義者(ルーマニア語圏はすべてルーマニアの領土であると考える人)たちによって併呑されてしまう危険があるのだ。

ただ、ルーマニア語ということになればルーマニア語の文法解説サイトと辞書サイトぐらいは探せばある。Maruiさんという方の労作になる「ルーマニア語のホームページ」(http://www.m-net.ne.jp/~marui/Romana/)にかなり詳細なルーマニア語文法が載せてあった。辞書の方はhttp://dictionare.com/のRomanian<>English Dictionaryを参考とした。この辞書、不定詞を入力するとすべての活用を一覧表にしてくれる便利な機能もある。そうして訳出した結果、エイベックスのO-zoneアルバムに添付してある対訳が恐るべきデタラメであることが分かった。

無論、英語版を訳した訳者に責を負わせるのは酷である。ふつう訳者というものは一つぐらいの言語しか訳せないのだから。しかしそれにしてもデタラメなので、この際著作権などというものは無視しても構わないであろう。で、デタラメの訳である。


マイア(以下略)
やぁ、君の公爵さ/あるリアルなものを作ったよ/君に俺の心を見せるためにね
やぁ、PICASSOさ/俺の愛の言葉を壁に塗るよ/君の名前入りでね
君が行ってしまうと/色がグレーになるんだ/ノマノマイ(以下略)
俺が言っていた愛の言葉、一つ一つを/毎日塗っているよ
俺は弦を売り、歌を売り、夢も売った/そしていくつもの合う色を買ったんだ/俺の愛に合う色をね
やぁ、またまたPICASSOさ/俺の愛の言葉を壁にスプレーするよ/君の名前入りでね
君が行ってしまうと/色がグレーになるんだ/小さいローラよ、ここにいておくれ/すべて色あせてしまうから/俺が言っていた愛の言葉、一つ一つを/毎日塗っているよ


のっけから「やぁ、君の公爵さ」とは尋常ではない。まともな人間は決して口走ることのないフレーズであろう。しかもそのあとが「あるリアルなもの」だ。なんなんだそれは。そしてその後はひたすら画伯である。じゃあ伯爵にすればいいじゃねえか。ドラキュラだって伯爵だったじゃねえか。何だ公爵って。さっぱりわからねえ。

ところが、越後屋がネットに全面的に依存しつつ生齧りもいいとこのモルドバルーマニア)語の知識で訳出してみたところ、このようになった。


もしもし、元気かい?ろくでなしの僕だよ 愛しい人よ
君に僕の愛を受け入れて欲しいんだ、幸せを運ぶ人よ
もしもし、君に電話をかけているのは
ピカソ(の絵みたいに不細工な僕)だよ
僕は力だけは強いかもしれないけど
君に何かを強いるつもりはない、信じてほしい

君は僕を置いていってしまうつもりなんだね
でも、行かないでくれ(?)
君の面影や菩提樹のそばで交わした愛を思い出すたび
君の眼差しが僕をつらぬくんだ(意訳)

僕が今感じていることを、君に伝えたい
もしもし、愛しい人よ、もしもし、幸せを運ぶ人よ
もしもし、しつこいようだけど僕だよ、
ピカソ(の絵みたいに不細工な僕)だよ
僕は力だけは強いかもしれないけど
君に何かを強いるつもりはない、信じてほしい


なんなんだこの差は。とにかくエイベックス訳には全くない単語がぼろぼろ出てくるので焦った。あっているかどうかも自信が持てないが、ともあれ、これならまともな欧米人の感覚の範囲内に収まる。しかしまあ、ルーマニア語の知識が皆無の越後屋が1時間そこいら勉強しただけでも何とか訳せるというのに、語学のプロであるはずのこの訳者は何をしておったのだろうか。僕ならばこんな仕事をしておいて金なんか受け取れないよ。よしんば英語版が斯くの如き代物であったとしても、これが作詞作曲者ダン・バランの意図であろうはずがないと看破できないのでは訳者として失格であろう。訳者はただ言葉を訳せばいいのではない。文化の架け橋たるの責務を負っているのである。