地震に負けない心

今日は久留米信愛高校合唱部の第10回定期演奏会。第4ステージがJohn Rutter作曲の「Gloria」という、混声+ブラスアンサンブルの曲なので、男声として手伝いに行った。合唱部現役およびOGの面々は9時からリハーサル。男声は10時50分集合となっていたので、10時20分ごろ自転車でうちを出て40分ごろには石橋文化センター大ホールに着いた。先に来ていた男声メンバーとロビーで世間話をしている最中だった。

突然大きなゆれが始まった。立っているのがやっとだった。ロビーの椅子につかまり天井を見上げ、天井そのもの以外落ちて来そうなものがみあたらないことは確認したが、窓ガラスがびりびりと震え、今にも割れるのではないかと心配した。長く感じたが多分15秒ほどで揺れはおさまり、窓ガラスも割れず、天井から落ちてくるものもなく、合唱仲間に怪我もなくすんだ。

玄海地震(仮にそう呼ぶことにしよう)。M7.0、福岡県では数百年経験したことのない大きな地震だった。久留米は震度5強とのことだったが、体感的には4〜5弱くらいに感じた。ロビーにいたからその程度で済んだのかもしれないが、ホールの中では客席に座ってリハーサルを見学していた生徒の数メートル横に、天井からエアコンのダクトが落下してきていたらしい。リハーサルは即刻中止となり、会館の方とステージマネジャーを中心に吊りモノ関係の安全を確認する作業が始まった。それ以外の人は全員駐車場に出るように言われた。生徒たちの中には泣き出して、両脇を抱えられながらやっとのことで駐車場に出てきた子もいた。客演の九州フレッシュメンコアの代表をはじめ数人の方は、会社が大変なことになっているとのことで出演を諦めて帰らざるを得なくなり、涙ながらに帰っていかれた。

作業を進めつつ、指揮者の中島先生と校長先生、ステージマネジャーの間でこの演奏会をどうするのかが協議された。中島先生は、余震も心配だし、もしものことがあってはいけないから演奏会を中止せざるを得ないかな、と半ば諦めていたそうだ。そうしたら、校長先生が「一年間がんばってきたあの子達を納得させることばが、あなたにはあるんですか?ないんだったら、やるしかないでしょう?あなたはいい音楽を演奏することに専念してください。あとのことは私が責任を持ちます。全職員を呼び出して手伝わせます。大丈夫です。私たちには神様がついていらっしゃいます!」ここらへんはさすがシスターの言葉である。この言葉に感動した中島先生は涙ながらに演奏会決行の決意をみんなに伝えた。拍手が起こり、僕も思わず涙が出そうになった(もちろん泣いてる人もいた)。

ホール内部の安全確認が済んだのは12時半頃だった。それから第2ステージのソリストの確認、第4ステージのリハと第3ステージ(フレッシュメンコアのステージ)のリハが行われた。14時開演の予定だったが、15時に遅らせてのスタートが決まった。

西鉄電車が完全に止まってしまっているので、福岡方面、柳川・大牟田方面からのお客さんが大分来れなくなっているはずだが、地震が起こらなかった場合と比べて、おそらく気合が違ったんじゃないだろうか。現役による第1ステージ、現役・OGの第2ステージはもちろん、メンバーが何人も抜けてしまったフレッシュメンコアも、気合ばっちりの演奏を聞かせてくれた。

そして第4ステージ。総勢160名が舞台に載った。最初のティンパニロールとチューバの音が入った。その瞬間、中島先生は「ここでどんな強烈な余震が来ても最後までやる」と思ったそうだ。気迫の演奏。歌っている最中に軽い余震が来たが、それだけで済んだ。100回くらいある「アーメン」を歌い切って、合唱団は手ごたえを感じていた。短い後奏の最後はtutti、フォルティシシモのB♭が4つ。その直後、中島先生がニカーッと笑った。にっこり、ではない。ニカーッ、である。会心の笑み。アンコールではとうとう中島先生は泣いてしまい、ソロが歌えなくなった。

打ち上げも大いに盛り上がった。宴もたけなわになった頃、震度3〜4くらいの余震が来たが、みんな「来るなら来い!今だったらどんなに来てもいい!このままつぶされて死んだっていい!」と逆に怪気炎を上げ始める始末。

別にキリスト教の信者ではないが、本当に神様が守ってくれたんだと思う。ホール職員のみなさんも、演奏会が出来るように最大限取り計らってくれたし、校長先生は自ら走り回って演奏会を成功させるために尽力してくださった。何より演奏者全員が一丸となって、何が何でも演奏会をやるぞ、地震なんかに負けてたまるか、と心を合わせた。そんなもろもろを、キリスト教の神様や、舞台の神様が聞き届けて守ってくれたのだろう。今回の演奏会のことは、一生忘れない。