ごあいさつ。とモノポリー。

かつて僕は「千年帝國」、のちに改名して「萬年帝國」というサイトを運営していました。僕が主宰する「藝術結社 越後屋総本店」の活動を広報するサイトでしたが、いつしか僕の個人的な日記サイトと化していました。5年とちょっと続けた自分のサイトを閉鎖して4ヶ月。そこにはこれまた4年半あまり続けた日記がありましたが、これも洗いざらい削除し、その日以来日記自体を付けなくなってしまいました。

そもそも、サイトに日記を付けようと考えたのは自分のためでした。当時医学部受験生だった僕が、直接会ってもいない占い師に「この人の実力では絶対ムリ」と言われて憤慨し、何が何でも受かってやる、見ててくれウェブ上のみんな!という気持ちで「炎の受験生日記」を始めたのです。書いてあったことといえば、いかに勉強もせず遊び歩き飲み会をやりサイト運営や音楽にうつつを抜かしているか、だったんですけどね。志望校合格を果たした後は「越後屋乳業」と改名し、わりと社会派な日記を付けてました。しかし、アクセスが伸び悩み、掲示板などへのレスポンスもまれになり、その一方で一か月に1〜2回しか更新しない(しかし確かに面白い)友人のサイトが毎日100カウント以上を記録。「何のために日記なんか付けてるんだろう。毎日ネタ探しに苦労しても無反応だし、バカバカしくてやってらんねー」という気持ちでいっぱいになったある日、自分のスペースにあるデータを全削除したのでした。

実に爽快でした。もうどーでもいーことに悩まなくても済むんだ、一日1時間程度を節約できるんだ、と思うと、すがすがしい気分でいっぱいでした。知り合いからオフラインでサイト閉鎖を惜しむ声を聞きましたが、サイト運営者の立場でいえば、オンラインで反応してくれなければ何の意味もないんです。1〜2件のカキコ、越後屋サイト閉鎖に対する反応はたったそれだけでした。わびしく、悲しいことでしたが、その程度のものにエネルギーを費やすことが無駄であることの証左でもありました。これできっぱりやめる決意ができました。

でも僕は、大切なことを忘れていたのです。日記は元来、自分自身のために書くものです。アクセス数やレスポンスを気にかけながら日記を書くからイヤになってたのです。それに日記を書かなくなったことで自分自身に影響が出てきました。日記を付けていた間に関しては、自分がある日何をしていたか、世の中で何が起こっていたかを読み返すことができます。もちろん日記にその日あったことのすべてを記録していたわけではありませんが。今僕は、11月や12月あたりに何をしていたか、もう分からなくなっています。これはまずい。純粋に自分のために、日記を復活させねば。

というわけで僕は今こうして日記を付け始めることにしました。誰かに見せるためでない、完全に僕自身のための防備録です。ですから、きっと読んでいてつまらないと思いますが、まあ読んでやってください。


で、今日、平成17年1月23日。めぐっちょに「みんなで温泉に行くよ」と誘われたはずだったが、若旦那の拒否権発動でいつの間にか回転寿司を食べに行く話にすりかわっていた。10日間の海外出張から帰ってきたばかりだから寿司を食いたい気持ちはよくわかるんだけどね。そのあと若旦那の家でモノポリー(日本版)。若旦那以外は初めてだったので、ルールを覚えながらおっかなびっくりやっていた。そのうちすべての土地や公共会社が誰かの所有になり、家が建ち始めると、やっとこのゲームの凶暴さが姿を現した。コマが止まっただけで有り金の大半をふんだくられるこの理不尽さ。ホンのちょっとしたきっかけで勝ち組と負け組が決まる。僕はあっという間に負け組に転落し、勝ち組となったみきちゃんに1億円をふんだくられて収入の道もほとんど閉ざされた。このゲーム、一度負けが込み始めると復活は難しい。どんどんジリ貧になっていく。負け組の僕と若旦那とみさっちはどんどんお金を吸い上げられ、土地も会社も担保に出し、勝ち組になったみきちゃんやめぐっちょのもとへはどんどんお金がなだれ込む。3時間以上の長丁場となり、さすがに全員が疲れてきたので、若旦那の現金が底をついたところで終了とした。その時点でみきちゃんは8億円を所持していた。これが世の中の仕組みってやつかぁ。このまま続けても、僕とみさっちが破綻するのは時間の問題だった。ただ、みきちゃんとめぐっちょの一騎打ちになると、また長いんだろうなあ。一位と二位の企業が出来ると、たとえ一位と二位の企業の差が圧倒的でも、二位の企業はつぶれそうでつぶれないんだよね。

越後屋の事務所兼僕の寝室である「(劇薬)新トレビアン」に応接セットを持ち込んだ。これでお客さんが来てもガンガン大丈夫。自分の部屋にソファーがあるって、いいなあ。