残念な自称ジャーナリスト、本澤二郎

久しぶりの日記だが、とても残念なブログ記事を見つけたので徹底的に叩いてみることにする。まずは全文をご紹介。

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本澤二郎の「日本の風景」(851)

東芝病院医療過誤で告訴> 8月15日のブログに「男は1回勝負する」という三木武夫発言を紹介したが、それを同日午後2時に自ら実践した。告訴状を持参して東芝病院のある大井警察署に赴くと、既に警視庁捜査1課の意向を踏まえたような同署の対応である。大いに感謝した。警視庁名刺には「社会を守るあなたの勇気」と印刷されているが、筆者もその一人なのか。正文の無念の死に少しは応えられた父親、という気分にもさせてくれた。「病院・医師は刑事責任を問われない」という傲慢な甘えの医療文化に、何がしかの緊張を投げかけることが出来た。これこそが医療過誤を減少させる特効薬なのだ。
 この日、初めて取材する人間が、取材される人間になった。とはいえ老醜を晒すわけだから、正直なところは内心、複雑な思いである。しかし、もっとも安全であるべき病院での息子の孤独死、という明々白々たる事実に蓋をすることは許されない。相手は一片の誠意も言葉もない東芝病院なのだから。
 父親としての手抜きは、またしても「有力者の紹介」という医療現場に潜んでいる悪しきルールを守らなかったことである。「たかが誤嚥性肺炎ではないか」との判断ミスだった。「有力者の紹介」さえあれば、1回目の医療過誤もかなり減少することが出来たはずだ。大いなる診断ミス(脳膿瘍とガンを間違える)も、途中から軌道修正できたのだから。
 一般の患者には、医師や看護師の手抜き・不注意が常時、襲いかかってきている。1度ならず、2度も医療過誤を受けて、正文は生きる権利を遂に奪われてしまった。こんな悲劇が繰り返されていいだろうか。実に単純なミス・エラーで。

<相手は東芝経営の大病院> 幸か不幸か息子を奪った大敵は、東芝病院である。背後の電通も見え隠れしているため、正確な情報を発信するマスコミを期待出来るのかどうか。ここがポイントの一つなのだが、実際は怪しい。最近得た情報では、東芝といえば、プルトニウム燃料棒を使用した東電福島原発3号機の原子炉メーカーだ。これがメルトダウンして、5カ月後の今も大量に流れ出しているという。それでいて未だプルトニウムの行方を特定出来ていない。それでも「原子炉製造が東芝の中枢ビジネス」と開き直る会社、そこが経営している大病院である。株式会社経営の病院という事実を知ったのも、つい最近のことである。
 日本を代表する財閥企業だ。相手に不足はない。筆者が警視庁の決断(告訴受理)を評価する理由である。実を言うと、自民党法務大臣経験者が大臣秘書官だった検事からアドバイスを受けた、その成果なのでもある。

<警視庁が告訴受理> 医療過誤の訴えを受理する事例は少ないという。マスコミが事前に大騒ぎでもしない限り。これが元法務大臣秘書官だった検事の説明だった。無数の被害者家族は泣き寝入りしている。訴えても多くは門前払いされる。
 だが、それでも警視庁は受理してくれたのだ。N院長・M主治医・F指導医・I看護師の業務上過失致死容疑である。筆者もそうだが、警視庁も勇気を出してくれたことになる。この事実は重い。すこぶる重いのである。
 思い出すと、97年2月から地獄の世界に突き落とされてきた患者と家族である。筆者の無知領域での悲惨な出来事・事件だった。家族の人生・健康全てがねじ曲げられてしまった。計り知れない被害を、ただ受容するだけの患者家族であった。しかも、それは被害者にならない限り、第3者にはわかってもらえない。
 こんな苦痛と一緒の人生は、誰しもが到底耐えられない苦痛である。1回目の医療過誤によって6年間、植物状態にさせられた正文の悲運を前にして、どうすることも出来なかった両親である。
 「人生はいろいろ」というが、正にそうなのだが、それでいて病院は開き直った。あきれるどころではない。既に刑事事件の時効が成立していた。病院は時効成立を待って、植物状態の患者を追い出しにかかったのだ。

<嘘と隠ぺいを暴露> かくして必死の自宅介護となった。筆舌に尽くせない介護に感じてくれたのか、息子は反応してくれた。心臓が強かった正文は、奇跡的にも口から流動食を呑み込めるようになった。声も上げるようになった。食事・おむつ・高熱に対して、声をあげて反応するまでに回復した。毎日、車いすに乗せられるようにもなった。医学的に見て大変な成果である。
 患者のためを思うならば、病院ではなくて自宅介護が良いに決まっている。
 2009年から運動を始めた筆者である。あと10年、20年の介護のためだった。筋力トレーニングだ。きついが耐えてきた。自信がついた矢先の2度目の医療過誤で、2010年4月7日に正文は、とうとう生きる権利を奪われてしまった。
 信じがたい「病院内での孤独死」だった。彼は誰にも看取られることなく、痰が喉に絡んでの窒息死だったとF指導医は、亡くなったのを看護師が見つけてから30分後に駆け付けた妻に説明した。筆者も後に彼から確認した。「よくあるケースか」と尋ねると、なんと「自分も初めてのことだ」と釈明した。彼は看護師の巡回ミスといいたいのだ。
 死亡診断書を確認してみると「誤嚥性肺炎」を死因として記録、痰が喉に詰まっての窒息死と記述していない。死亡時刻は19時40分前で実際は不明だというのに21時すぎではないか。これは公文書偽造ではないか。業務上過失致死容疑だけではない。
 マスコミの取材に東芝は面食らっている。嘘と隠ぺいを報道関係者に垂れ流している。彼らが真骨頂を発揮する場面である。しかし、その手口は承知している。カルテに記録していないことを口走り、辻褄合わせを平然とするのである。白を黒と言いくるめたりもする。
 彼ら悪しき病院は、都合がよいときはカルテを利用する。その反対の時は新たに付け加える。家族に説明してきた死因までも隠ぺいするのである。そうして第三者を欺こうというのである。
 これからは、しばらく東芝の嘘と隠ぺい舞台をじっくりと“高みの見物”といきたいものである。有能な警視庁の刑事部長が信頼するベテラン捜査官は、彼らのカラクリを見破ることになろう。

<病院・医師も法の裁きを> 白を黒といいくるめる病院や医師は、素人が理解できない未知の分野という特権的過信からきている。しかし、医師の中にも良心的な医師はいる。現に1回目の医療過誤は、同じ病院内の善良な医師が真実を明かしてくれた。それが週刊誌などの活字となった。すると示談を求めてきた。提訴寸前のことだった。
 世の中には立派な医師も病院もある。間違いない。だが、多くは失敗しても反省し、謝罪しない。「やることはやった」と開き直ることを通例としている。1回目の過誤でしっかりと勉強させられた。それゆえにミス・エラーは繰り返すことになる。
 負の連鎖は病院・医師の側にある。もしも、失敗を認め、反省すれば、2度とミスはしなくなる。人間のすばらしい特性である。しかし、そうはしない病院と医師である。ならば、どうするか。
 法の下の平等原則を適用するほかないだろう。そうした原則を貫くことで、医療現場はまともになるはずである。過失が無くなれば医療過誤は激減するだろう。
 「医師・病院の業務上過失に対して法の裁きを受ける」というルールが、医療現場に浸透すれば、医療過誤は無くなるのだ。断言してもいい。警視庁が東芝病院事件を受理したことで、既に効果は大きい。

<年間4万人もの医療過誤死を無くす社会へ> 「医師失格」(長崎出版)を執筆したさい、東京新聞の特集記事に目が止まった。専門医の日本における医療過誤死の件数である。推定最大4万人を超えるというのだった。交通事故死や自殺の数よりも多い。
 圧倒される数字に度肝を抜かれた。現在、民主党参議院議員の医学博士にこの数字をぶつけると、彼は「数え方によっては、もっともっと多くなる」と回答したものだ。
 こんな事情を知っている日本人は少ない。治療や看護に当たって「親兄弟と思って対応する。そうすれば過誤は起きない」と言ったのは、厚生大臣を歴任した丹羽雄哉氏だった。手抜きや不注意さえしなければ、過誤は起きない。

<人生最後の挑戦> 正文の事故が起きるまで、筆者はいつも「30歳」という思いでもって仕事をしてきた。振り返ると、福田赳夫さんは70の坂を超えても「明治38歳」と豪語して天下取りの夢を放棄しなかった。
 人生最後の挑戦というと、やはり70歳前後となろうか。福田さんの心境も理解できる。個利個略の世界から解放される。無為無益の境地に入るからだろう。その時に人間は本物になれるのではないだろうか。本物の仕事が出来るのであろう。
 筆者には、その仕事を息子が死をもって用意してくれたのだ。「お父さん!医療過誤は僕一人で十分。早く無くしてよ」と耳の奥で聞こえてくる。

<正義は我にあり> 東電もそうだったが、東芝も有り余る資金でマスコミを動かせる力を持っている。既に判明した。だが、蟻の一穴という譬えがある。既にネットが手を貸してくれている。金で正義は押しつぶせないだろう。
 正義は必ず勝つ。正義は我にあり。死をもって正文が証明しているのだから。
2011年8月16日21時00分記

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まずは亡くなったご子息に、心からの哀悼を捧げます。


そして、このほんざわじろうという残念な人物の来歴。

1942年千葉県生まれ、66年中央大学法学部法律学科卒業。東京タイムズ政治部長8年9カ月(在京政治部長会の最長記録)。同編集局次長を経て、90年秋から政治評論活動に入る。91−94年3月まで嘉悦女子短期大学講師。97年4月から3年間二松学舎大学講師。06年10月から2年間、中国・同済大学アジア太平洋センター顧問研究員。現在、日本記者クラブ会員、日中平和交流21代表。

後半で分かるように、中国べったりの記事を垂れ流している国賊である。そしてなんと、法律学科を卒業しているのだ。


>警視庁名刺には「社会を守るあなたの勇気」と印刷されているが、筆者もその一人なのか。正文の無念の死に少しは応えられた父親、という気分にもさせてくれた。
>日本を代表する財閥企業だ。相手に不足はない。筆者が警視庁の決断(告訴受理)を評価する理由である。

なんというか、もう、残念としか言いようがない。私怨を義憤とはき違え、誤った正義感に陶酔している。


>大いなる診断ミス(脳膿瘍とガンを間違える)

いやあ、脳膿瘍と脳腫瘍の鑑別は結構難しいと思うぞ。それに脳膿瘍だとしても手術が不要だったと言い切れるわけではなかろう。


>「病院・医師は刑事責任を問われない」という傲慢な甘えの医療文化に、何がしかの緊張を投げかけることが出来た。これこそが医療過誤を減少させる特効薬なのだ。

悪質な場合はもちろん刑事責任を問われる。故意があって罪を問われないことなどない。過失が問題なのだ。診断ミスが刑事訴追に値する過失だというのならば、じきに医療者は逮捕されるか逃亡して一人もいなくなる。そうなれば、医療がないのだから医療過誤はゼロになる。なるほど。確かに特効薬だ。猛毒という名の。


>父親としての手抜きは、またしても「有力者の紹介」という医療現場に潜んでいる悪しきルールを守らなかったこと

なんという下賤な人間なのか。有力者の紹介があれば医者が手を抜かずに一生懸命診療するとでも?悲しくなってくる。たとえ有力者の紹介だろうと患者本人や親族が医者だろうと、そうでないひとと何一つ変えずに診療をする。それが医者だ。要するに誰に対しても申し開きのできる医療を行っていればいいだけの話。


><相手は東芝経営の大病院>

東芝病院の背後に電通の影を幻視したり、無理やり原子炉と結び付けてみたり、妄想が過ぎる。東芝グループだから隠蔽体質、という何の根拠もない短絡思考。さすが政治評論家。これまでご自分の記事の検証など、一度もしたことがないのだろう。


>N院長・M主治医・F指導医・I看護師の業務上過失致死容疑

私はイニシャルにしたが、なんとブログでは実名なのである。本澤次郎、いったい何様なのか。ただ告訴状が受理されただけで、逮捕にさえ至っていない人間の実名を晒すとは、実に勇気にあふれた行動である。蛮勇という勇気のな。起訴にすら至らなかった場合、そして運悪く起訴された後に無罪となった場合、名誉棄損の訴えを起こされれば確実に敗訴だ。これは法律学科卒業の人間であれば、致命的なミスではないのか。


>奇跡的にも口から流動食を呑み込めるようになった

親兄弟(なぜか子供がないが)としての甘えを排して、本澤はむせるわが子に流動食を流し込み続けたそうである。まさに鬼の所業である。普通の医者や看護師にはできない。耳鼻科医・脳神経科医の検査・診断と、言語聴覚士の見守りのもとに、安全に行うべきことだからだ。そもそもなぜ誤嚥性肺炎になって入院せねばならなかったのか、そこに親としてのミスはなかったのか。


>死亡診断書を確認してみると「誤嚥性肺炎」を死因として記録、痰が喉に詰まっての窒息死と記述していない。死亡時刻は19時40分前で実際は不明だというのに21時すぎではないか。これは公文書偽造ではないか。業務上過失致死容疑だけではない。
>マスコミの取材に東芝は面食らっている。嘘と隠ぺいを報道関係者に垂れ流している。

そりゃ病院は面食らうだろうさ。嘘だの隠蔽だの、完全な言いがかりだ。誤嚥性肺炎は、いや肺炎は、そう簡単に治る疾患ではない。病院に入院して一流の呼吸器外科医が対応しても、高齢であるとか、本澤の息子さんのように脳神経系の基礎疾患があるとか、たいていは条件が付いているから、完治はなかなか難しい疾患だ。90歳女性が誤嚥性肺炎で入院して3か月の治療後に亡くなったことに対して、治せなかった医者に1200万円の賠償という信じられない判決を出したゴミ地裁判事がいた。年寄りは肺炎で死ぬものである。こんな判決が確定してしまえばもう高齢者の肺炎なんか誰も診なくなる。もちろん控訴中だ。

それに「痰が喉に詰まっての窒息死」は、死亡理由にはならない。それは「呼吸不全」である。死ぬときは誰でも、息が止まるか心臓が止まるかするので、「呼吸不全」「心不全」は死亡診断書の死亡理由として不適当とされている。そしてその原因となった疾患(この場合「誤嚥性肺炎」)を記載するよう通達が来ている。さらについでに言えば、肺炎は痰ががぼがぼ出てくる病気なので死ぬときは気管に痰が詰まって死ぬのである。

死亡時刻は、医師が死亡を確認した時刻を記載する。これが法的な死である。「19時40分前」というのは生物学的な死亡時刻を告げたものだろうが、それと法的な死亡時刻が乖離することはきわめてよくあることだ。公文書偽造でもなんでもない。このような理由で医者が「死んだ」というと本当に死んでしまったことになるので、家族がみんな揃うまで死亡確認を待ってくれ(遅れてきた家族がちゃんと死に目に会えたことになるから)、と言われ、完全に心停止した後30人に及ぶ家族が次々やってくる間、2時間以上人工呼吸に乗せ心臓マッサージを繰り返しながら待ったこともある。


> 「医師・病院の業務上過失に対して法の裁きを受ける」というルールが、医療現場に浸透すれば、医療過誤は無くなるのだ。断言してもいい。

カギかっこの中の文法が破綻していることはひとまず擱こう。ではジャーナリストも間違ったことを書いたら刑事訴追を受けるべきであろう。ジャーナリストはペンの力でひとの社会的生命をいとも簡単に奪うことができる。医師は「命を救い損ねる」ことはあっても「命を奪う」ことはしない(安楽死が法的に認められている国は別である)。しかしジャーナリストは「社会的殺人者」になる力があり、より凶悪である。現に、本澤は東芝病院およびその医療職員の社会的生命を抹殺せんとしている。このブログの文言は、品格もなにもない、あさましい殺人者の言動である。それだけではない。東芝病院で救われる可能性のある人々の命すらも、本澤は奪おうとしているのだ。

本澤は、本件が不起訴となった場合、法の裁きを受ければよい。また、起訴されて無罪となったがそれまでの悪評などで東芝病院がつぶれたり十分な診療ができなくなれば、患者が本澤を刑事訴追すればいい。一事が万事このルールとなったら、もうだれも危険を冒してまで真実を暴こうと思わなくなり、ジャーナリズムは破たんするだろう。医療だって同じことだ。決して患者を殺そうなどと思って診療にあたっているわけではない。その上で、完璧でない人間は過失を起こすのである。これに全部刑事責任を問えというのならば、もう誰も命を助けようなどとは思わないだろう。


>もしも、失敗を認め、反省すれば、2度とミスはしなくなる。人間のすばらしい特性である。

人間の過失がゼロになると、本当に思っているのか。本澤はうっかりミスをしたことはないのか。1度目の「医療過誤」を通じて失敗を認め反省したはずの本澤が、またしても「有力者を通じて紹介しなかった」というミスをしたと、自分で言っているではないか。もちろんそんなものはミスでもなんでもないのだが、本人がミスだと思っているのならば、「人間のすばらしい特性」は、人間ならぬ本澤には備わっていないのだ。だいいち、よく調べもしないで公文書偽造などと軽々に言っちゃってるのは、ジャーナリストとして大層なうっかりミスである。有罪判決を受けていない人間の実名をブログで挙げるのも、これまただいぶ残念なうっかりミスである。なんだ。ミスだらけじゃないか。本澤がこれまでのジャーナリスト人生の中でのさまざまな記事で、どれだけ軽々に嘘や事実誤認を書き散らしてきたのか、この短い文章の中でもよくわかる。


>治療や看護に当たって「親兄弟と思って対応する。そうすれば過誤は起きない」と言ったのは、厚生大臣を歴任した丹羽雄哉氏だった。手抜きや不注意さえしなければ、過誤は起きない。

丹羽雄哉は単なる世襲議員で、医療職の経験がない。丹羽は法学部を出て政治記者を経て大平正芳の秘書となり、衆議院議員だった亡父の後を襲って1979〜2009年衆議院議員。だからこの言葉には全く現実感がない。机上の空論だ。

そもそも親兄弟と思って対応すればミスはしないなんて、いったいどれだけ怖い親兄弟だったのか。普通親兄弟ならミスも許してくれるのではないか。私の意見は全く逆で、親兄弟ではない緊張感があるからこそ真摯に向き合うしかない。むしろ不幸にして医療者が親兄弟友人の主治医・担当職員となった時こそ、甘えは絶対禁物で、「赤の他人である患者」として接するべきだ。


法の下の平等原則を適用するほかないだろう。そうした原則を貫くことで、医療現場はまともになるはずである。過失が無くなれば医療過誤は激減するだろう。

ジャーナリストにも法の下の平等原則を適用するほかないだろう。そうした原則を貫くことで、報道はまともになるはずである。誤報がなくなれば報道機関による人権侵害事案は激減するだろう。


医療過誤死の件数……推定最大4万人を超える

医療過誤死が何を指すのかが定義されていない以上、この数字は極めて恣意的で根拠を欠くものと言わざるを得ない。ましてや本澤が根拠として挙げているのは自著である。あきれてものも言えない。



こんな感じで、もう疲れたのでやめますが、興味のある人は本澤のブログを検索して読んでみてください。まあ、ひどいもんです。いい加減な取材や調査に基づき、主観・独善によって補強された、珠玉の文章の数々を笑ってお楽しみください。

この文章が出、告訴をしたと報じられたただけでも、医療者ことに看護師にはかなりのダメージがありますが、おそらく逮捕や起訴には至らないでしょう。任意の事情聴取を行い、結果的に不起訴となる可能性が高い。本澤は検察審査会に打って出るかもしれない。仮に強制起訴となった場合でも、大野病院事件のことがあるので在宅起訴の形をとるでしょう。判決は変な裁判官でなければ無罪となるはずです。ただ、その間に多数の人間がこうむる社会的不利益を、本澤はどう考えているんでしょうか。