今年の抱負みたいなもの

?外科医としてレベルアップする。

初期研修終了後、順当に入局という道を選ばず、いわば外科の武者修行のためにこの準離島に来てはや3年。来春からは母校の外科医局への入局を決めた。医局の中でどういう扱いをされるのかは分からないが、頑張っていきたいと思う。論文書いたり学会発表したりってこともどんどんしないといけないんだろうな。

?もっと合唱する。

ここに来て驚いたのは混声合唱団がないことだった。仕方なく男声合唱団に入ったが、最初のうちは全く音程が安定せずハーモニーになっていなかった。昨年から、元中学音楽教諭が指揮者を務める女声合唱団との合同演奏会を通じてレベルアップし、ようやく最近になって周囲から一目置かれる合唱団に成長した(ちなみに平均年齢は60代中盤)が、刺激的とは言い難い。福岡へ戻るので、レベルの高い合唱がまたできると楽しみにしている。やっぱり、勉強になるような合唱活動はこっちでないと。合唱組曲も書きたい。ただ、忙しくなる(or無駄に長時間拘束される)だろうから、実際に歌えるのかどうかは謎。

?蝶ネクタイを結べるようになる。

ブラジャーみたいなホックを引っ掛ける奴じゃなくて、きちんと結びたい。そのためには蝶ネクタイ用のネクタイを買わないといけないんだけど。

?管楽器に手を出す。

「クラリネオ」というおもちゃ的クラリネットを買った。これまで、声に鍵盤にギター属弦楽器に打楽器と、音を出すこと自体に困難の伴わない楽器ばかりやってきたが、まずこいつは、音が出ない。音が出ても安定しない。それでも1時間ほど夢中で吹いているととぎれとぎれで君が代が吹けた。ああよかったと1時間置いてまた吹くと音の出ないとこからやり直し。なんなんだこの微妙な世界は。でも楽しくなってきた。具体的な目標を据えることも大事なので、早速3月の病院バンドの卒業演奏(必ず送別会が催され、その際にバンドが)に向け、クラリネオ用のフュージョン曲を作曲した。
困るのは練習場所だ。アパートでは近所迷惑なので、車で山か海に出かけてそこで練習するしかない。でも初めて2日で2オクターブ強が何とか出せるようになった。もちろんあちこちに力が入りまくって1〜2分で疲れ果ててしまうなど課題山積だが、どうにか3月までには自作曲を演奏できるようになるつもり。

?それ以外の音楽活動も、粛々と実行。

すごいなあ、みんな

今日付けで、職場の後輩が出産・育児のために大切なキャリア形成の途中で退職した。旦那は職場の同僚で、キャリア的には俺より上だが、世間話一つ満足にできないガキだ。こいつを見ていると妹とデキ婚して離婚した愚鈍な元旦那を思い出す。言葉遣いや物腰一つとっても、後輩の方が明らかに聡明に見える。


知り合いの婚約者は、結婚を前に仕事を辞め、たまたま体調を崩して入院したが、退院してすぐ、知り合いのいる島に単身渡ってきた。彼らはもう籍を入れているはず。


同僚の奥さんは同僚と同じ資格を持っているが、仕事はせずに家事育児に専念している。来年は一緒に島に渡るという。


遠距離恋愛の彼と一緒になれる、と嬉々として退職し、初めて実家を離れるという人もいた。


そういえば上司の奥さんは、10数年前にこの職場で知り合って結婚、上司の異動とともに離職したのだった。



彼女/婚約者/奥さんが、仕事を辞め、家族と別れ、住み慣れたところを離れてまで自分について来てくれるのって、いったいどういう気持ちなんだろう。



「早く戻って来いボケ」


「一人で行けやカス」



としか言われたことのない俺には、まったく想像もできない幸福感なんだろうな。それともすまない気持ちでいっぱいになるんだろうか。


たまたま利害が一致しただけなのかも知れないが、それでも、大好きな人が、自分のためにここちよい色んなものを捨ててついてきてくれるなんてことが、自分に起こるとはとても信じられない。それどころか逆に



「親とか捨てろやクソ」



と2人連続で言われて別れたものだ。向こうは両親揃っていて、こっちは片親なのに。




大好きな人が自分の子供を産んでくれることも、夢のように有り得ないことのように思える。ほんとうに、今後あるんだろうか。そんな素晴らしいことが、俺に起こるんだろうか。某元アイドルみたいに嬉々として愛する旦那の子供を産む人が、神様のように思えてならない。そんな人だらけなのに。自分に起こる気が、今はしない。


これまで付き合った人はみんな子供はいらないと言った。複数の人から、あなたの子供なんて気持ち悪いとまで言われた。俺はずっとバイキン扱いだった。付き合っていてもいつも片想いだった。今の人も子供なんて邪魔だとか言うんじゃないかと不安で仕方がない。


別れた後に流産して因縁をつけてきた人はいたが、最後の2ヶ月はまともに家に上げてもらえなかったので、俺の子だとは思っていない。



実家の状況が大きく変わったので、必ずしも親と同居する必要はなくなったが、相手も片親なので、結婚できたとしてもどこかで一波乱あるだろう。でもまあ、それはいい。俺が我慢すればすむ話だ。




「どこへでも、あなたと一緒に行けたらそれでいい」


「あなたの赤ちゃんがほしい」



一生に一度だけでいいから、大好きな人がそう言ってくれるのを聞きたい。俺のどこに問題があるのだろう。どこをどう直せばいいのだろう。

腹立つ

その① ジコチューな彼女。


まあ俺もあれですけど、人のこと言えないっすけど、人をバイキン扱いしてさらに「お前と話すことなんかない」宣言されて。俺も大概お人好しっすね。でもだいぶキレてます。


その② ダメ整形外科医。


祖母がデイサービスで足の骨を折り、そこの経営主体である病院へそのまま入院。しかしここは恐怖のライフポケットであり、それを知っている近隣住民は間違ってもこの病院にだけは収容されたくないと思っている。俺も一抹の不安はあったが、そもそもそこの病院でやっちまったことだから、ちゃんと責任を取ってくれるものだろうと思っていた。


整形外科医は、確かに手術そのものはかっちりやってくれた。傷の治りもよかった。しかし整形外科、特に足の骨折を扱う以上は、負傷前の段階になるべく近い状態で退院させることを目標にすべきだろう。しかし、若い頃から明かりなしでは眠れなかった祖母が、消灯後に「暗いから怖い、電気をつけてくれ」と懇願するのを「夜間不穏」→「問題患者」とレッテル張りし(他の病院では枕元の小さなライトをつけることを許可してくれた)、他の患者に迷惑だからと、死の4階病棟に転棟させた。もちろん死の4階病棟というのは俺らが勝手に言ってるだけだが、リハビリ病棟という名目になっているこの病棟は一人残らず腐れ看護師ばかりで、最初から「問題患者」のレッテルが貼られた祖母をまともに看ようはずがない。リハビリ病棟なのに、食事介助はしないわ、水は飲ませないわ、腎臓が片方しかない人間の肉眼的血尿(ちょっと赤いなんてもんじゃない、カゴメトマトジュースレベル!)を一週間近く放置した挙げ句、誤嚥性肺炎の徴候に気づいていながらクラビット100mg1×って何の治療しとるか分からんだろうが!耐性菌作るだけだろうがこのゴミ箱医者どもが!そして血尿に関しては「ご家族で泌尿器科に連れて行ってください」って足の手術して座るのもやっとの人間を車椅子で、看護婦も付き添わせないで家族だけで連れて行けってか!そしてその泌尿器科への紹介状には「血尿はいつから始まったのか」「足の手術後だが、どれだけ足を開いていいのか」に関する情報すら書かれていなかったから診察ができなかった!そんな紹介状しか書けない医者なんかもう医者とは思えない!


いや、買いかぶりすぎていた。そこらへんの整形外科医が医者だと思うこと自体が間違いだった。実は、医学部を卒業する頃は整形外科医になりたいと思っていた。初期研修病院の整形外科の先生方もすばらしかった。しかし、いろんな場所の整形外科医を見ていると不安になり、なんとなく「全身管理は整形外科だとアレだよなー」「やっぱり全身診れてから医者と言いたいなあ」「お客様の中にお医者様はいらっしゃいますかと言われて怯まない医者になりたいなあ」ということを考えて、わざわざ渦中の、過重労働の、絶滅危惧種の、外科にやってきたのだった。


もう祖母の整形外科の主治医を医者だとは思っていない。泌尿器科受診後に、母はそいつに「泌尿器科の先生はなんとお返事されたんですか」と訊いた。たったこれだけのことに、そいつは「僕らはこんなに一生懸命にやっているのに、全然信用してくれてない」と声を荒げたという。本当に寝る間さえ惜しんで真剣に一生懸命にやっている人間はこんな言い方をしない。自分の一生懸命さが足りないと思って落ち込むだけだ。俺と違って母はナトリウム人間だから、激高して何倍か言い返したらしい。


結局、泌尿器科受診の翌日に高熱を出して、肺炎からARDS、血尿(の原因)から急性腎不全となり、呼吸器内科/神経内科/腎臓内科が共同主治医となり最善の治療を施してはもらっているが、生死の境をもう3日さまよっている。戦績は芳しくなく、徐々に敗色濃厚となっている。そばにいてやれない俺はただただ奇跡の起こるのを祈りながら待つばかりだが、「せめてあのデイサービスで骨折したのでなければ、初期研修病院にお任せしたのに」「むしろ俺が今いる病院に連れてきたのに」なんてことを考える日々だ。


不思議で不思議でしょうがないことなのだが、あのゴミ整形外科医は、片腎の血尿と聞いて焦らなかったのだろうか? それ以前に、この患者の孫が医者だと聞いて、たとえ普段はお天道様に顔向けできないような恥ずかしい医療をしていても、ちっとはなんとかしてやろうというプライドぐらい持っていなかったのだろうか? 祖母はおしゃべりだから、この年かさの“若手”外科医が法学部卒業だということぐらいしゃべっていたはずだ。まあ、入れ歯を外した祖母のふがふが声など、こいつは聞きもしなかっただろうが。知らないとすれば、患者に興味がない藪医者だということだ。ただではおかん。

婚約破棄から学んだこと

一年ぶりの日記だ。といってもmixiは活発に更新しているのだが。

今年の後半はいろいろあった。婚約して、2カ月半で破棄に至ったことが一番大きな出来事だった。このことについてはmixiには当事者がおり好きに書くわけにいかない。まあここでもあんまり好き勝手に相手の悪口を書くのはみっともないし、もう今さら書こうとも思わない。具体的な事項は捨象して、今回の騒ぎで学び、今後の戒めとしたいことだけを抽象的に書くことにしたい。


今回、いちばんの敗因は、
「こんな女となら結婚したい」
ではなく、
「この女と結婚したい」
と思ったことだ。つまり結婚相手や結婚生活に対する理想を押し切れず、相手の要望を呑みまくって自分を失くすところまでいってしまったのがいけなかった。

結婚を急ぐ必要はなかったのに、何故か急がなければならないと思ってしまった。さまざまな事情から、この女と、来春結婚しなければならないと思い込んだ。そして焦り、結婚の理想を見誤り、ハンドルを切りそこなって壁に激突して自爆した。


もう結婚を焦らない。
結婚しないならしないでもいい。
でも結婚する時は妥協しない。
私を理解してくれる女。
特に、医師としての仕事と、
私の人格の拠り所と言ってもよい音楽に、理解のある女。
そうでなければ結婚する意味がない。

そんな人が現れるまでは、仕事と趣味を全力でやっていきたい。


タバコを吸わないことは最低条件。
健康であるに越したことはないしね。
タバコを吸ってる女で賢い人ってあんまり見たことない。